@kz208pug

祖父がシベリア抑留に行っていましたが、あまりに壮絶な経験からか多くを語らなかったのが印象的でした。幼ながらになぜ戦争でシベリアに行かなければならないのか疑問に感じていました。
今の時代の人たちには刺さらないと思いますが、こういった映画が残ることが貴重ですね。

@y0910

この話20年ほど前にテレビで特集していて知りました。 
遺書を持って帰ると捕まって取り上げられるので、6人で遺書を覚えてそれぞれが遺族に伝えに行った話。

@やりいか-v5j

曽祖父がシベリア抑留で亡くなりました。祖父を含めた子供達を置いてきたからか、脱走しようとして殺されたそうです。
でも、逃げなくても寒さや栄養失調で死ぬことを考えると、なんともやるせない

@宮崎英昭-q2o

親父が4年かかって、戻って来ました。
これが、人権侵害。
映画がより、実態は悲惨です。

@venushollow

うちのじいちゃんはシベリア帰還兵だったよ。
本当に地獄だったらしい。猛吹雪の中を移動中に背後で誰か倒れても、その人を助けたら移動中のデッドウェイトになるから、助けられなかったらしい。みんな後ろから聞こえる「助けて…」って声を振り切って進むしか無かったそうな。じいちゃんも実家で死ぬまで、その声は頭から離れなかったらしい。

@河北洋介

シベリアに抑留されていた私のお爺さんが毎日シャケばっかり食べさせられて日本に帰って来てシャケを見るのも嫌だと言っていた。
ソ連兵は九九ができなくて、8人を7列に並べた場合、日本人なら8x7=56人と数えるが、九九ができないから一人ずつ数えていた、数えていくうちに分からなくなって初めから数え直し、毎日これの繰り返しであいつら皆バカだと言っていた。

@サムライトッシュ

祖父がシベリア抑留されていた話を本人から聞いた話を聞きました。
毎日のように周りにいた人が死んで行き心に深い傷を負っていました。
子供ながらに怖かった記憶があります。

@佐野秀俊

本日観に行ってきました。良い映画でした。
祖父がシベリアで抑留されており、祖父の弟は同じく抑留先のシベリアで栄養失調で亡くなっています。
ですので、この映画は観なければならないと思いました。
祖父は決してこの時の話はしませんでした。祖母から祖父のこの時の様子は断片的には聞きましたが、マイナス30度の極寒の中での労働、食事に生のイワシを支給され、焼いて食べようと火を起こしたらソ連兵が怒鳴り込んできた、腕時計を取り上げられたが、ソ連兵はまともな教育を受けていないのか知能が低く、ネジを巻くということを知らずに止まった時計をあたりに放り投げてあったため、運よく返ってきた、等々。
祖母は満州から私の母と兄弟を連れて、ソ連軍から命からがら逃げてきました。
祖母からは、ソ連はいかに鬼畜か。共産主義はいかに悪かということを、生前よく話していましたが、昨今のウクライナ侵攻を見ると、その時の祖母の話が今になってよくわかるような気がします。戦後かなりの年月が過ぎますが、ロシアの本質、共産主義の本質は何も変わっていないような気がします。

@superlink1993

2名の身内がシベリア抑留されていました。
祖母の兄(大伯父)と曾祖母の弟(大大叔父)でした。
大叔父は満鉄勤務で敗戦直前に招集され、そのままシベリアへ。その年のうちに20歳の若さでソ連・タイシェトの異国の丘に眠ることになりました。曾祖母は時折遺影を見て泣いていたと聞いています。
大大叔父は関東軍憲兵中尉。カザフで抑留され、幸い帰国できましたが将校であったことが影響したのでしょうか、昭和27年まで比較的長く抑留されました。その後は阪急に勤めたものの早くに亡くなりました。
人道的な扱いは一切無い、奴隷としか扱わないソ連。人の命を奪い、領土を奪ったその歴史は忘れてなならないし、許してはならない。

@arayebis

以前,世田谷美術館で「アウトサイダーアート展」をやったとき,シベリア抑留者の作品も大量に出てました.「働くことができなくなれば帰国できる」と思い込んで,自ら片手の指を全部落とした将校を描いた部下の絵とか.真っ先に覚えたロシア語が「ダーワイ,ビストラ」(働け!,早く)だったとか.この「ビストラ」がビストロの語源になったという説もあります.
そのときに「ラーゲリから来た遺書」の話も知りました.
ウズベキスタンのナヴォイ劇場は日本人捕虜が作ったので,地元でも「地震が来たら日本人が作った劇場に逃げろ!」と言われており,実際タシュケント地震でも無傷だったとか.

@慶良間海人

これば観たい映画ですね。

@eg6kenchan

うちのじいちゃんの、片方はシベリア抑留から開放され帰国。もう一方は、シベリアへ行軍中に仲間4人で逃げた。2人とも一切戦争を語らなかった。

@スサノヲ-v9u

シベリアに抑留された体験をもつ人が書いた本に『極光のかげに』(高杉一郎著)というのがあります。
高杉氏はロシア語が多少できたんで扱いがそこそこ良かったようで、そこが他の普通の日本人とは違っていたようですが、この本も発表された当時は話題になって芥川賞の候補作になったりもしたようです。

@イングリッドジャム

ロシアもソ連も変わりませんね。

@hikeyama985

ソ連のクズっぷりを再確認できる映画としては、「樺太1945年夏 氷雪の門」があります。
樺太の真岡郵便電信局に勤務していた9人の女性電話交換手を中心に描かれた1974年制作の映画ですが、配給会社の東宝が当時のソ連の圧力に屈して2週間で上映を打ち切った作品です。
私は数年前に名画座で見ましたが、これこそ今の日本人に見てほしい名作だと思いました。
KAZUYAさんも時間があったら是非ご覧ください。

@アルスラーン戦記-e2c

私の中学校の時の社会科の先生は上海大学留学中に召集されたので中国で終戦を迎えましたが、「当時は国民党の蒋介石が中国を統治していたので生きて日本に帰れた」と仰っていました。 ですが多くの学友が「満州で戦っていたためソ連軍に抑留され殆ど生きて戻らなかった。」そうです。 なので、その先生は当時としては珍しく、日教組と共産党が大嫌いで私と妙に馬が合いました。

@auot611

ロシア人「カイジの世界?あんなん楽園ですよ」

@肯定ペンギン-t7t

シネコンの冊子に載ってて気にはなってました。某有名監督アニメ観る予定でしたが、両方見に行くことにします。
シベリア抑留はひどい話よく聞きますが、屋村要さん所のチャンネルで、ソ連兵は将校でも掛け算あやしくて、嫌いな将校の点呼当番の時にわざと横に列広げて数えにくくして困らせてやった話とかもあったり。抑留60万とか大き目の都市丸ごと誘拐されたようなものですよね。

@thebluehearts3562

私の曾祖父も帰還兵だったらしいけど、本当に酷い生活をさせられたってね。なんでそんなことする国よりも日本が悪いことになるのか…

@aiwa-sonyjapan-8524

二宮さんってよく戦争もの出てるイメージ